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高森町登録文化財に「旧宮島家住宅」が登録されました。

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旧宮島家住宅情報

〇名称 旧宮島家住宅
〇所在地 高森町吉田1067番地
〇文化財の概要 木造本棟造の主屋 延床面積449.57㎡ 建築年 寛政2年(1790)
〇登録年月日 令和6年3月13日
旧宮島家住宅.jpg
▲登録された旧宮島家住宅
DSC_0019.jpg
▲主屋玄関上に飾られている「酒林」

 

登録理由(高森町文化財調査委員会見解)

地域の方々から「酒屋」と呼ばれ、赤煉瓦の煙突とともに地域のシンボル的な木造本棟造の建物として誰からも愛されてきた宮島家住宅です。飯田市上郷に住む宮島八束氏は、実家である住宅の維持管理を続けていましたが、平成29年(2017) 周辺の土地を含めた宮島邸全体を譲渡し、株式会社戸田屋の所有となりました。
宮島家と親族の外松家(戸田屋)は、平成19年(2007)に、空き家となっていた酒蔵を借用して、市田柿の製造・販売への事業拡張を視野に、農産物加工所を開設しました。その後農園部を設け、近くの農園で栽培した柿や栗を自社で加工販売しています。今後も、本宅を活用した市田柿販売所など新たな展開も考えています。
昭和46年(1971)文化庁より県教委を通じて、生活の近代化に伴って古い伝統的な民家が取り壊される心配があるということで緊急調査の依頼があり、高森町文化財調査委員会が調査しました。江戸時代以前の農家、宿場、神官、武士の住居で何らかの特徴のある家という観点から46軒が調査対象となり、宮島家も該当する家屋となっています。また、令和5年(2023)吉田史学会発行の「吉田の里 歴史散歩」によると、高森町には明治以前に建築された本棟造が40棟残っており、そのうち17棟が吉田地区に密集しており、なかでも旧宮島邸周辺の吉田日陰地区は、本棟造民家8棟、養蚕民家3棟と江戸・明治の民家が密集し、かつての農村原風景が残されている貴重な集落群です。
旧宮島家主屋の建築年代については、鬼瓦に「寛政二年戌三月吉祥日」と銘があり明確です。また、桁行10間×梁間8間半の大きな建物であり、国の重要文化財である寛政11年(1799)建築の竹ノ内家住宅(桁行8間×梁閒7間半)と比べても規模が大きく、建築年代も古い建物です。
さらに、木造本棟造主屋の一階二階とも、建築時の間取りの座敷や広間などが大きな改修もなくそのまま残されています。
主屋玄関上には「酒林」と呼ばれる杉玉が受台を付けて飾られ、かつての造酒屋の象徴として当時を偲ばせています。酒林を飾っている大きな唐破風の屋根と丸彫りの彫刻が光る台座は、明治16年(1883)に坂田亀吉(木曽亀)によって造られたと伝えられており、これは同年、吉田の吉川氏氏神神社本殿を建造していたとき、宮島氏が依頼して造られたものと言われています。
その他、明治21年(1888)建築の木造切り妻二階建の酒蔵や嘉永5年(1852)建築の穀蔵、道具蔵・文庫蔵等宮島邸全体が建築当時の姿を残し現在に引き継がれており、一帯が歴史的な雰囲気を醸し出しています。
引き継いだ株式会社戸田屋は、柿や栗の加工場として民家を使用し、お菓子の生産場として地域に根ざした地場産業を展開しています。このように今日まで守り続けてきた旧宮島家の民家を活かし有効に活用し、後世に継承していこうとしていることも登録の大切な用件と考えます。
以上のことから本物件は、高森町に多く建てられた木造本棟造の歴史を知る上で貴重な文化財として高い価値があります。よって高森町登録文化財として将来に残すべき文化財であると考えます。

 

吉田日蔭地区

上記の調査内容にもありますが、旧宮島家住宅周辺の地域は「本棟造民家8棟、養蚕民家3棟と江戸・明治の民家が密集し、かつての農村原風景が残されている貴重な集落群」が残る貴重な地域です。

 

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