更新日:2019年03月29日

平安時代のお金「富寿神宝」発見

高森町下市田にある新井原遺跡から、平安時代の貨幣である「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」を発見しました。

 

1、富寿神宝とは

平安時代初期(818年)から数年間製造された貨幣です。708年の和同開珎から963年にかけて日本で製造された12種類の銅銭は皇朝十二銭と呼ばれますが、富寿神宝はその中で5番目に作られました。日本最古の富本銭から数えると、日本で6番目に古い貨幣になります。

南信(長野県南部)で2枚目、長野県内では16枚目の発見です。高森町では富本銭に続き、2枚目の古代貨幣の発見になります。

 

 

2、発見の経緯

平成30年10月に、下市田地区にある新井原遺跡内に個人住宅を建築するにあたり、発掘調査を実施しました。地面から深さ60cmのところで、平安時代の住居跡の脇にある溝から発見されました。保存状態がよく、はっきりと字を読むことができます。

 

3、発見からわかること

富寿神宝が発見された新井原遺跡では以前にも、すずりや瓦、灰釉陶器等の、一般的な集落からは発見されないものが発掘されていました。また、富寿神宝が見つかった場所から約300m離れた武陵地1号古墳からは、富本銭が発見されています。

隣接する飯田市座光寺地区には、奈良・平安時代の役所跡である恒川官衙(ごんがかんが)遺跡があります。長野県内の事例では、古代貨幣は主に街道沿いの主要な集落や役所があった場所から発見されています。

こうしたことから、新井原遺跡は恒川官衙遺跡との関係が考えられます。奈良・平安時代から中央政権との繋がりがあり、地域の中心的な場所であったことが推測されます。地域の成り立ちを知るうえで大切な手がかりになります。

 

4、発見の意義

高森町ではこれまで、遺跡や遺跡から発見されたものが、人の想いや活動につながってきました。

明治時代には、下市田村(現下市田地区)の小学校である下市田学校に勤務していた小川昌成校長が、遺跡や古墳を残すことの大切さを村民に知らせて保存に努め、社会教育の先駆けと言われました。

小川校長が勤務した下市田学校校舎は地域の想いから現在も残され、地元の小学生が社会科の授業で訪れています。下市田保育園の園児が年間を通じて、校舎を使って活動を行っています。

下市田地区内にある武陵地1号古墳から見つかった富本銭は、子どもたちが昔の高森町を学ぶための教材として使われています。

 

 

(富本銭のレプリカづくり)

 

教育委員会では富寿神宝の発見を、子どもたちが地域を楽しく学ぶことで「たかもり」を好きになるための取組みに繋げていきます。

 

5、今後の活用

1)4月から時の駅で速報展を開催します。

2)保存処理を行った後、時の駅で常設展示します。日本最古の貨幣である富本銭とあわせて富寿神宝を見ることができます。富寿神宝の常設展示は、南信地域でも時の駅のみになります。

3)子どもたちが富寿神宝のレプリカやホットケーキを作る体験をしながら楽しく学びます。

 

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